ツアーをご利用いただいたお客様の声をご紹介 おしゃべり掲示板

ツアーをご利用いただいたお客様の声をご紹介 おしゃべり掲示板

07.082019

愛は南の風に乗って

投稿者 鹿児島県のK.Sです。

四国に生れたものの使命感のようなものがある。それが巡礼の旅だ。幼いころから接してきたお遍路さんと弘法大師は遺伝子に組み込まれているかのように人々を巡礼の旅へといざなう。数年前から私たちの遺伝子が活性化したようで妻と二人でそんな話が時々持ち上がった。与論という飛びきりかけ離れた離島に暮らす私たちにとってそれは途方もないエネルギーを必要とする夢のような話である。まだまだ無理だと諦めていたが、何度も巡礼の旅をしていた妻の母親が昨年亡くなり遺言のようにその志を継ごうと決心した。年をあけてすぐに日程に合うようなツアーを探したが中々見つからない。団体は無理だし、長い時間をとることもできないので、ネットで探したら株式会社旅ネット四国というのが見つかった。早速会社と交渉したら、二人だけで私たちの希望する日程で旅の企画が組めるという返事ですぐにここに決めた。その後詳細を打ち合わせしているうちに平成から令和へと年号が移るのを機に10連休という異例の決定が政府でなされた。留守番の相談を連携医として前半の5日間をその日程にした。その後母の突然の死でどうするか迷ったが、料金も振り込んでキャンセルは無理だという事で、供養もかねてそのまま実行することにした。
 一番札所から回るという事で、徳島から始まるのだが一番から10番までは子供のころから親しんでいるお寺が中心であった。まずは衣装を揃えるためにあらかじめ申しこんであった発心堂というお店に寄った。もちろん地元出身だという事は内緒である。白装束と金剛杖、線香とろうそく、ライターなど小間物を入れるバッグをさげると、いよいよお遍路らしいいでたちになり気分も引き締まってきた。
まずは一番札所の霊山寺から出発。途中は車での移動だが、それでも道を歩いているとお遍路さんと接する人のやさしさにまず気づいた。子供のころは、今のようにお店もなく、お遍路さんは近くの家に回って御報謝を受けていた。それを糧にずっと旅をしていた。だから途中で倒れる人もいて、白装束は死に装束でもあったと聞く。自分が逆の立場に立って人の暖かさこそが巡礼の旅のエネルギーだと早速気づかされた。
各お寺を参拝するときは、まず手水場(ちゅずばで)手を洗い、ろうそくを一本、線香を3本あげる。ライターは風よけのついたものを用意したが、あとになるとろうそくの蝋がついて段々火が点きにくくなった。本堂から、あらかじめ住所と名前を書いた納札を所定の箱に入れて、その後お賽銭をいれ、仏前勤行を唱え、般若心経、各お寺の御本尊真言を唱える。その後光明真言、御宝号、回向という順序である。隣にある大師堂も同じことをする。そのあと寺の特別なものがあれば合わせて参拝し、その後納経を受ける。山門に入るときと出るときに必ず一礼をする。もう一つ、首にかける輪袈裟はトイレに行くときは外さなければならない。こんな細かいエチケットを守りながらみんな巡礼の旅をしているのだと感心させられた。
以上が大まかな作法だが、慣れるまでには相当手間取った。当然だが子供のころに遊びに来たのとはわけが違う。あらためて自分たちの生まれたところの文化を認識することになった。そして、その後4番札所で思いがけない事態が起こることになるとは、、。
4番札所は、わが家の近くの大日寺で、大日如来が御本尊ですが、妻がふと外に置かれている仏像に気づいた。全身が赤い色をした、本堂の横の外に祀られている。その理由をガイドの人に聞くとこういうことだった。賓頭盧(びんずる)さん、と呼ばれる釈迦の弟子の一人で、神通力を使ったために釈迦の怒りにふれ涅槃に入ることを許されなかったためにお堂の外に置かれているのだという。俗に「なで仏」と言われ、自分の病んでいるところを撫でると治ると言われている。妻はずっと膝が痛くて、今回の旅も無理だとこどもたちに言われていた。出発前には毎日マッサージに通っていた。そんなわけで"びんずるさん"の膝を一生懸命撫でていた。その後なんと痛みは瞬く間に消えてすたすたと歩き始めた。医者である私からすれば気持ちの問題で一時的なものだろうと思っていたが、その後もずっと具合がよく、このあと一番の難所焼山寺の坂も登ってしまった。こんな話は今まで始めてだとガイドさんもただあきれるばかり。今回の旅の思わぬ副産物に私も正直驚いている。ちなみに私は頭をなでてきましたがその成果やいかに?

ページトップへ